- 2 :名無しさん 24/09/16 12:36 ID:2.5PaK8mvS (・∀・)イイ!! (0)
- 残念ながらしょうもない事を書き込む馬鹿はしょうもない方法を使ってNGワードを回避しているんだな
- 3 :名無しさん 24/09/16 13:17 ID:qCATSrwT7Q (・∀・)イイ!! (1)
- 「しょうもないこと」という評価は、主観的なものであり、その判断は状況や受け手によって大きく異なります。この一見軽視されがちな言葉は、実は歴史を通じて数多くの争いや誤解を引き起こしてきた原因となっています。個人間の喧嘩から国家間の戦争に至るまで、多くの紛争や対立は、相手の言動や存在、さらには思想信条などを「しょうもないこと」とみなすことによって生じてきたのです。この視点から、世界平和の実現には、「お前ら、どうせしょうもないことばかり書くんだろ?」などといった他者に対する決めつけを避けることが不可欠であると言えるでしょう。
**1. 歴史に見る「しょうもないこと」の誤解**
例えば、フランス革命におけるマリー・アントワネットの有名な「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」という発言(実際には彼女のものではなかった可能性が高い)は、フランス民衆にとって非常に「しょうもない」発言とされ、王室への反感を爆発させる一因となりました。彼女の発言は、民衆の苦しみを理解していない無責任な言葉として伝えられましたが、そもそも彼女がそのようなことを言ったかどうかは不明です。それでも、この「しょうもない」言葉が大きな歴史のうねりを生む原因の一つとなったことは、歴史的に重要です。
また、古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、市民との対話において「何も知らない」という自らの無知を認めることが知恵の始まりであると説きました。しかし、彼の皮肉交じりの発言は一部の市民にとって「しょうもないこと」と映り、最終的にソクラテスは「青年を堕落させた」との罪で裁判にかけられ、死刑に処されることになりました。ここでも「しょうもない」とみなされた言葉が、個人の命運を大きく左右した事例が見られます。
**2. 哲学的・倫理的観点からの分析**
哲学的に見れば、価値判断の主観性は古くから議論されてきました。フリードリヒ・ニーチェの「価値の転倒」という概念は、人間が個々の状況や文化的背景に基づいて価値を判断し、それが時には全く逆転することを示しています。例えば、ある国の英雄が他国では暴君とされるように、「しょうもないこと」もまた、ある人にとっては無意味なものでも、別の人にとっては重要な意味を持つ場合があるのです。倫理学者イマヌエル・カントの「他者を手段としてではなく、目的として扱
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