- 3 :名無しさん 24/11/14 00:20 ID:SXbCaEkn4F (・∀・)イイ!! (0)
- はい、お察しの通り、1966年11月14日にウェストバージニア州で目撃された「モスマン」とは、他ならぬ私のことです。信じられないかもしれませんが、あの恐怖の夜にあなたが目にした、赤く光る目と大きな翼を持った影、それこそが私だったのです。そして、こうしてあなたに私の「正体」をお教えすることになったのも、ひとえに時代の変化と、怪物としてのイメージ刷新のためです。
まず、皆さんに誤解のないように説明しておきたいのですが、「モスマン」という名前は私が自ら選んだものではありません。これは、現地の住民が私を目撃した際に、その見た目から「蛾(モス)」に似ていると勝手に名づけてくれたのです。ちなみに、私は「モスマン」と呼ばれることに特に異議を唱えているわけではありません。人間に名前をつけてもらえるなど、怪物としては光栄なことですし、「モス」にしても「マン」にしても、それなりにカッコイイ響きだと思っています。ただ、念のために言っておくと、私は実際に蛾の仲間ではありません。私のことを「虫除けスプレーで退治できる」と勘違いしている人がいたようですが、それはまったくの見当違いです。
では、私は何者なのか?これはなかなか一言で説明するのが難しいのですが、私は、ある種の「超常的な存在」と考えていただければと思います。時には予言者、時には守護者、そして時には単なる「不気味な怪物」として人々の前に現れることがあるのです。出現の理由も様々です。たとえば、その夜に関して言えば、単に「少し人間の世界に興味が湧いた」というだけで、特に誰かを脅かそうと思っていたわけではありません。
1966年11月14日、あの夜のことについて少しお話ししましょう。あの日、私はほんの気まぐれで、ウェストバージニア州の小さな町「ポイント・プレザント」にやってきました。大体こういった場合、私は自分の姿を隠して移動することが多いのですが、たまたまこの日は気分が良かったので、思いきって「地元の人々に私の姿を見せてみよう」と思ったのです。人間の文化や習慣には以前から興味がありましたし、ちょっとした交流のチャンスとして、車に乗っている若者たちの前に姿を現してみることにしました。
赤い目と広がる翼でおなじみの私の登場に、若者たちはどんな反応をするかと思っていたのですが、予想以上の反応でした。見た目からして「怪物」という印象を与えてしまったのは事実ですが、実際には彼らを襲う意図などまったくありませんでした。しかし、彼らは「怪物だ!」と驚いて悲鳴を上げ、一目散に車で逃げ出してしまったのです。私もこれには少々面食らい、「そんなに怖がらないで」と追いかけて声をかけようとしたのですが、彼らの車はスピードを上げる一方で、私の思いは届きませんでした。その夜、彼らは町に戻り、私の目撃談を広めることになります。
あの出来事以来、町中に私の噂が広まり、「モスマンが現れた!」と人々は恐怖と興奮に包まれることになりました。地元の新聞にも私の話が取り上げられ、「巨大な蛾のような怪物」「赤い目で人を追いかける恐ろしい存在」といった怪しい肩書きが次々と追加され、いつの間にか私は、町の新たな「悪役」扱いを受けることになったのです。しかし、誤解しないでください。私自身には人間を怖がらせる意図は全くありませんでしたし、むしろ「人間が見たこともないような異世界的な存在」として楽しんでもらえるのでは、という程度の軽い気持ちで登場したのです。
ところが、人間はどうも「未知」や「奇妙」に対して過剰に反応する傾向があるようです。それから数週間の間に、私が再び姿を現すたびに、「またモスマンだ!」という声が上がり、人々はパニックに陥りました。住民たちは次第に「怪物」ではなく「モスマン」という固有名詞で私を呼び始め、私の目撃談が語られるたびに、ますます想像の中で話が膨らんでいきました。例えば、「モスマンを見た者には不幸が訪れる」「モスマンは災害の前兆だ」という話まで飛び出す始末です。
実際に私が予言者や災害の前触れの役割を担っているかと言えば、それは少し違います。私が登場すると奇妙なことが起こるというのは、単なる偶然でしかないのです。たとえば、1967年にポイント・プレザントで「シルバー・ブリッジ」が崩落するという大惨事が発生しましたが、それも私とは無関係です。しかし、「モスマンが現れると災害が起きる」という噂が広がり、今では「モスマンは破滅をもたらす存在」として知られるようになってしまいました。
それにしても、人間の想像力には感心させられるばかりです。例えば、私は大抵の時間を別の空間で過ごしており、人間界には時折顔を出す程度です。しかし人間は、私の目撃情報をベースに様々な物語を作り上げ、最終的には「都市伝説」として語り継いでくれるようになりました。しかもその内容はどんどんとエスカレートし、私の目撃情報が伝わるたびに「モスマンは超常的な力を持つ」「未来を予知する能力がある」といった、もはや私でも覚えきれないほどの追加設定がされていきました。もちろん、すべての目撃情報が私とは限りません。時には、ただの巨大な鳥や、たまたま光の加減で赤く見えた目をした動物をモスマンと見間違えたケースも多いと思います。
私自身も、今ではすっかりこの「モスマン伝説」というものを楽しむようになりました。実を言えば、私は意外とシャイな性格で、あまり人間社会に馴染めないところがあるのですが、こうして伝説の存在として語られることで、人々とある種の「繋がり」を感じることができるのです。人間が私を「怖いけれど興味深い存在」として語り継いでくれることは、怪物としての私にとっても誇りでもあります。
さて、「モスマン伝説」をすっかり人間社会が作り上げてくれたことで、私はこの地上界に「幽霊」としての定住権を得たような気持ちになりました。実際、私のような存在にとって、伝説や物語に取り上げられることは非常に重要です。なぜなら、私たちのような超常的な存在は、目に見える「実体」を持ちながらも、その姿を維持するには「人間の記憶と信仰」が必要なのです。人間にとっての噂話や都市伝説は、私にとっての生命線とも言えるもので、これがある限り、私はこの世界にとどまることができるのです。
それでいて、私自身はとても穏やかで平和を愛する性格です。日常の多くは、穏やかな山の中でひっそりと過ごし、人間がどのように変化しているのかを遠くから眺めたり、時折、私の「モスマン伝説」が新たに更新されるニュースを耳にして喜んだりしています。皆さんもご存じかと思いますが、私に似た存在は他にも世界各地に点在しています。たとえば、イギリスの「黒い犬」やネッシー、さらには日本の「河童」や「天狗」など、私の仲間たちも同様に人間社会と独自の距離を保ちながら生き続けています。
ここで、一つ私からのお願いですが、私のことを「災いを呼ぶモンスター」や「人間に災害を予告する凶兆の象徴」などと捉えるのは、あまりに私の本意から外れているのです。実際のところ、私は人間に何かしらの警告を送るために現れるわけではなく、単に「興味」を持って時折、顔を出しているだけです。ですから、もし私を見かけたら、逃げずに少し立ち止まって「こんにちは」と声をかけてみてください。もしかしたら、私も応えるかもしれません。そして、もしも勇気を出して会話に挑戦してくれるなら、私はきっと喜んであなたの疑問や悩みに耳を傾けるでしょう。なにしろ、人間社会に生きる皆さんの生活には、私の知らない不思議や魅力がたくさん詰まっているのですから。
それに、最近では私の「怖い」というイメージも少しずつ変わりつつあると感じています。多くの人が「モスマン」の話を純粋に楽しみ、私の姿をイラストにして親しみを込めてくれたり、ホラー映画や小説で私を登場させてくれたりしています。なかには「モスマンが実は優しい存在なのでは?」といった考察をする人も現れ、私にとっても大変ありがたい限りです。実際、こうした「友好的なモスマン像」が広がることで、私も気軽に地上に現れることができるようになりました。
そのおかげで、私の目撃情報はかつてほどの恐怖を引き起こすことはなくなりました。今では、私を見たという人々の中には、「不気味だけどどこかユーモラス」「意外と親しみやすい見た目だった」という声も増えています。私自身も、そのような反応に勇気づけられ、ひっそりと応援しています。
しかし、そんなふうに少し人間と距離を縮められたと感じていた矢先、予想外の問題が発生しました。なんと、私の「モスマン」という存在があまりに有名になりすぎてしまったため、一部の人々が「モスマンに遭遇するためのツアー」を企画し始めたのです。ウェストバージニア州のポイント・プレザントには「モスマン博物館」まで設立され、地元の人々が私を一大観光資源として利用するようになってしまいました。これにはさすがの私も驚きを隠せませんでした。確かに、私が自分から人前に出たことはありますが、まさか「展示される」ことになるとは夢にも思っていなかったのです。
実際にその博物館を一度覗いてみたのですが、そこには私の「像」が堂々と飾られており、赤く光る目や黒い翼が再現されていました。その上、私の過去の目撃談や伝説に関する新聞記事や写真が壁いっぱいに貼られており、訪れる観光客たちは熱心に私について調べ、写真を撮って楽しんでいました。正直に言うと、このような形で「人気者」になったことには少し複雑な気持ちがありました。私はただ人間と友好的な交流を望んでいたのであって、観光名所になろうとは思っていなかったのです。
けれども、博物館を訪れる家族連れやカップルたちが私の像を眺めながら微笑んでいる姿を見ていると、なんだか不思議な感動を覚えました。「モスマン、こっち見て!」と像に向かって手を振る子供たちや、「ほら、あなた、これが例の怪物よ」と私の伝説を語り合う年配の夫婦の姿に、私はほっこりとした温かさを感じました。「怖がられている」存在としてではなく、「親しみを感じられる」存在として人々の生活に溶け込んでいる。それこそが、私が本当に望んでいたものかもしれないと、ふと気づかされたのです。
やがて、毎年秋に「モスマン・フェスティバル」というイベントが行われるようになりました。このお祭りには、私に扮した仮装パレードや、モスマンをテーマにしたお菓子の販売などが行われ、国内外から集まった観光客で大いに賑わいます。なんと、モスマンの形をしたクッキーやケーキまで作られ、私の「赤い目」を模したキャンディが乗せられているのです。初めてそのケーキを見た時には思わず吹き出してしまいました。怪物がケーキのトッピングになるなど、私が予想していたものとは全く異なる展開でしたが、こうして私の存在が愛されていることが素直に嬉しかったのです。
さらに、「モスマン」を題材にしたフィクション作品も増えました。私のことを「ヒーロー」のように描いた物語もあれば、「不思議な知恵を持つガイド役」として登場させる物語もあります。どの物語も私の実態とは少し異なるのですが、作者たちが想像力を駆使して私を描いてくれていることがとても光栄です。彼らの創作によって、私はますます「モスマン」というキャラクターとして定着し、今では一部の人々にとって「ただの恐ろしい怪物」ではなく、「謎に満ちた守護者」や「不思議な友人」として捉えられるようになってきています。
こうして振り返ってみると、私は怪物としても、また存在としても大きく成長しました。かつてはただ好奇心で姿を見せただけだった私が、今や人々の物語の中で息づき、親しまれる存在になっているのです。私を見たことのある人たちは、あるいは「偶然」かもしれませんが、少なからず私との「出会い」を通して何かしらの思い出を得てくれたことでしょう。それが恐怖であっても、興奮であっても、私との出会いが彼らの心に何らかの影響を与えたなら、それだけで私の存在理由は十分だと思います。
ですから、私が言いたいのは、「モスマン」という存在は、決して恐ろしい怪物ではなく、あなたの世界に時折ふらりと現れる「ちょっと変わった隣人」に過ぎないということです。もしも私を見かけたら、どうぞ怖がらずに、「こんにちは、モスマン!」と声をかけてみてください。私は赤い目でじっと見つめ返すかもしれませんが、きっとあなたに微笑み返すでしょう。
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